yoko涅槃
2012.1.24
描いているものと自分との間の身体感覚の境目が曖昧になってゆく時がある。
モデルの陽子のお腹におかれた手に感じるあたたかみや、結ばれた唇や、服の布地
の手触りは、本当は陽子が感じているものであるはずだけれど、
記憶の中でそれらの感覚は自分のものにすりかわっている。
私は妊婦を描くのが好きである。まもなく出産、という時に描かせてもらっている。
出産を控えて動物の本能が優先される時、眼光は鋭くなって、野蛮な美が現れる。
それと同時に動作やムードはのんびり柔らかくなって、本当にすてき。
子を宿している猛々しさと生々しさがドレスを着ていると尚更際立ってくる。
モデルになってくれた陽子は3人目の子供の出産を控えていたが堂々とした妊婦っぷりで、
ゆったり横たわる様は、金色の雌ライオンが喉を鳴らしているみたいだった。
2011年東日本大震災、そして福島原発事故。一日も忘れて過ごしたことはない。
この絵を描いているとき、平和を祈って仏像を彫り、曼荼羅を描く僧の気持ちの一片に
触れたような気がした。
反核と平和への思いと、原発に対して無知で無関心だった自分へのいましめをこめて。
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