2011年3月
東日本大震災が起きて原発事故が起きた
いろんな報道を見た。これはみんな動き出すだろうとショックを受けながらも私は思った
きっと誰か有名な人や頭の良い人や科学者や国やロッケンローラーやパンクロッカーが放射能の危険性を訴え福島の人々のために全力を尽くすだろうと。そうして短期間で事故処理をさくっと終わらせられるだろう。
ここは日本、世界より優れた国、わたしの国。ブラボー
すぐにもう大丈夫だと言ってくれるよね
あの時私は確かに聞いた
汚染水が染み出るのを「新聞紙を隙間に詰め込んで」「戸板」と「炭を水に投げ入れて対応」していると。
天下のNHKが報道していた。
なぜかその時せんそうがはじまる
と思ったのだった
この2回のライブペイントまで私が絵を描くことを知らない人が多かった。接客も酒を造るのもどへたくそなバイトだった。
この1回目と2回目のライブペイントの間だと思うが、地元の自然を守るため怒涛の日々が始まっていた。
livepainting [ FACE UP TO]
2012 3 20 tue
at lounge tamaya( Ise kawasaki )
いきものの記録。
いい世界をのぞむ。いいにおいのする世界を希望する。
ただし現実に向き合ってから。
選択する。どうやって生きるか。何をして何をしないか。
向き合った世界は底なしだったし、影響は数万年単位だという。
知らぬうちにまきこまれているようだ。
それでも世界と未来とにんげんを愛したいよ、と望んだ。その記録。
2011 5.2
live dessin[ FACESONTIME ]
at tamaya Ise Kawasaki