千年の愉楽 中上健次
先日ゴゼさんという目の見えない女性の三味線弾きのことを教えてもらった。
ゴゼさんの唄声は仏さんを連想させる。
声の出し方が念仏やちんちんばーさん(お題目を唱える人の意味 ここらで)に近いからかもしれない。ゴゼさんの声を聴いたときこの世界を知っていると思った。なにか自分はこれに近いものに感動したことがあると思った。この世とあの世の境にいる年老いた女性。
あ!オバ!と思いだした。
千年の愉楽は、レンジョさんという坊さんの妻であるオリュウノオバの目を通して、路地に住まう「中本一統」の描写をオムニバス形式につづった長編小説。この世とあの世の境のような場所にいるオリュウノオバは産婆であり、彼女がとりあげた中本一統の美しく育った男たちはいつもある不安を抱えている。肩で風をきって歩き後家さんをたぶらかしては手篭めにし、男色にも手を出す彼らはそっとオバのところで不安を口にする。
「わしの子、ゲン叔父みたいにならんかね」オバは彼の不安を痛いほど感じながらもぶっきらぼうに「神の子じゃのに。あほなこというな」としかる。男はほっとして、オバも欲しか?とからかう。中本一統は路地、つまり被差別部落をさしているのだろうと推測される場所で悪さと色ごとの限りをつくし、木を切り出す仕事でその若い肢体をのびのびと使って生きている。悪事をすればするほど清められるかのような美しさのピークで死はごくあっさりと訪れる。
過去と現在と未来とを自由に行き来する神話的なこの物語に魅了されてから何年もたつが、
もはや私の血と肉になってしまったと思う。不吉な宿命をもつ人々の話という点が強調されがちであるけれど、美しい物語と共に、荒々しく繊細な精神を持つ著者の背景を含む多重レイヤーで構成されていて、ほころびひとつない圧倒的な構成力に感動した。音楽のような語り口調は熊野新宮の言葉であるが同じく紀州の私にはそれが妙にうれしく誇らしい。
ああすごいぞケンヂ!
ケンヂアンドザトリップス!
短編集から徐々に近づくのも手です。ジェイコブはあんまり共感できなかったなあ。紀州を書いたものがやっぱりおすすめ。
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