情の時代

愛知トリエンナーレに行ってきました 。
情の時代、いいタイトル。そしてそこに設えられた表現の不自由展。津田大介氏らしいチョイスだなあと思うと同時に「これは撤去されるな…」と感じました。早めに行かねばと算段していたのに数日間にあわなかった、残念です。

何人かのSNSの投稿を追いましたがたった3日間の展示、断片的な情報だけしか分かりませんでした。表現の不自由展と銘打った上の展示であり、人によっては不快になる可能性があり過激な表現があるということを暗に断った上での(タイトルからも明確です)展示であったのだろうと想像します。

そこに 不快な気持ちを追求し掘り下げる勇気もない人々が押し寄せ「過激だ!不快だ
!」と騒ぎ立てたのですから私からすれば、まあほぼコントです。行かんだらええ。その自由を行使せよ。

アートに出会い、ざわめき波立つ自分の心にどう落とし前をつけるか。
自分の心に問いかける機会など持ちたくないと恐れるのは悲しいことだと思います、


平和の少女像の展示を中止した愛知トリエンナーレに対してアーティスト11人が遺憾の意を表明し、撤退。メインビジュアルだった、この『孤独のボキャブラリー』も閉鎖。


日本の臭いものにはフタしてしまう懐の狭さに絶望的な気分。心地良いものだけ見てたかったらこのけもの道に分け入ってくんじゃねえよ、失せろぃ、と思ってしまう。

そんな中、大村知事の明確な公の立場についての回答にはかなり救われました。市長と知事と2人代表がいる県政の大切さを予期せぬとこで再確認したりして(笑)



今回平和の少女像に対しての撤去要求、脅迫メール、市長の検閲、無責任で上っ面すら掴めていないSNSの恐ろしくいやらしい投稿(くそったれ)に1ミリも共感しません。完全に馬鹿にしています。 

人を沈黙させる力、それこそが美であり芸術の力です。そこには相容れないものもあり、魂を震わせるものもある。
アーティスト側からの問いかけに快、不快に関わらず反応してしまった「自分」と対峙することすら出来ない、勇気のないものは去れ。

それでもいつでもドアは開いている。
これが芸術とアートからの愛だと信じてる。

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