mokuren

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五月

ひょんなことから山口県に行くことになりました 。友人シノワのかおりちゃんに誘われ 周防大島まで! 元銀杏BOYZの 中村チンくんの寄り道バザールとミシマ社のイベントにお邪魔しました。 そこで森田真生さんの数学の講演会があった。それはそれは美しく骨太な「世界の捉え方」を指南してもらった。静かに「なにこれ…最高…」と大興奮。 PHILOSOPHY とは、哲学ではなく「知を愛する態度そのもの」だと知った。森田真生先生の数学の贈りものという本を是非読んでもらいたい! そしてとても笑顔が可愛くて素敵な男の人だったと言うことも付け加えたい! その後のミシマ社のワークショップ 周防大島町の地図を作るイベントにも参加した。周防大島町に住む人と私達県外からの人間とグループになってMAPのナビゲーターとしてのゆるキャラを作った。それをその場で寄藤文平さんが描いてくれる。贅沢な時間でした。私のグループは、「周防大島町からハワイへ出稼ぎに行く人が多く家族へのお土産がたくさん詰まったトランクで帰ってくるのがステータスだった」という話からトランク上人というなかなかな子が生まれた。MAPのどこかに載るみたいで楽しみ。中村チンさんとシノワのかおりちゃん。銀杏BOYZの峯田くんがシノワの音源を既に持っていて、銀杏の大ファンだったかおりちゃんが勇気を出して送った音源は繰越?で、銀杏の他のメンバーに渡され、シノワと銀杏は繋がっていた。それから数年たち、山口からめったに出てこれないかおりちゃんは大阪の服部緑地で客席にいたチンくんに声をかけようかどうか迷い続けており、その横に私がおり、「行け」と行ったのは現在ハレルヤでギターを弾く酒匂功くんであった(笑)

追悼さんちゃん

2つ前の記事doyouknowあしはま?のフライヤーを描き終えてほっとしていたところに今回のゲストスピーカーである小倉紀子さんのご主人さんちゃんが亡くなったという知らせが入った。海に落ちたのだという。わけがわからなかった。芦浜にかかわる誰と話してもさんちゃんの名前が出ると皆一様にうふふと笑う。「さんちゃんは、すごかったんな(すごかったよ)」みな誇らしげに自分の持っているさんちゃんネタを話すのだ。海上保安庁の船に乗り込んだ若い衆やら、いくらも心美しいあらくれがいる中でさんちゃんはなかなか皆の心をつかんでいるらしかった。私がついに会えなかったさんちゃん。会いたかった。でも話を聞くだけでもう好きだった。今回のフライヤーは紀子さんを描いたものだったから見てほしかった。見てくれたかな。さんちゃんの大好きなさんちゃんとおんなじくらい豪快な紀子さん。そんな奥さんできっと頼もしかったろうと思う。第一回めのイベントだっただろうか、司会をしていたときいやがらせをされて怖くなかったか、と聞く私にきょとんと「こわいてなに?」と聞いた紀子さん。「こわいて…そんなことおもてる場合やなかったけど…」と思いがけないことを聞かれた、というような戸惑った顔をしていた。「私ら夫婦は全然意見がかみ合わん、何やっても意見が違うんです、でも原発のことだけはぴたーっとあうの。はんたーーーい!てなるの」と紀子さんは笑った。会場のお客さんもみんなであはは、と笑った。今紀子さんが寂しいだろうと思うだけで胸がきゅー、となる。でも心ある東の御仁がさんちゃんの魂にゆさぶられた結晶がある。残ってる。ああ、奇跡のようです。またいつかお話します。

募集。

前にかいたギャラリーへの文章だけど(タイトルは違います)明らかにここだけ異質なのです(笑)なぜかといえば、他の作家さんはギャラリーから三人称でもって紹介されているのですが…わたしは政治とかなんだとかを取り扱ったので、気を使われてしまい、あなたが自分で自分の紹介文を書きなさい、てことになりあわてて作ったものなのです。改めて見てみるとちょっとだけさみしい(笑)私も紹介されたい…そして政治をテーマにした人がこれまでいなかったからと言われました。小学校時代、ブルーレター(不幸の手紙みたいなもので、次に誰かに出さないといけないやつ)が流行り、みんながやすみ時間にそれを書いていたので腹が立ち、集めて破り捨てていました。全部不幸を受けるからドッチボールしようよー!つまらんよー、と誘い、無事にドッチボールができる日々が戻ってきました。私は、普段はぼけっとしているけど、自分の楽しみを奪われる事態にだけは、立ち向かうタイプなのかもしれません。その頃にパンクという音楽、概念を知って、小さな私はすっかり共感しました。女王さまにだって間違っていたら伝えなくちゃ。それをやれる人を、それについて話せる人を、それを表現している人をいつだって探しています。政治は私達のものなのに。今日本は、クーデター中だと私は思っています。

京大吉田寮ツアー

村おこしというイベントに行きました。そして合間を見て、父が学生のときに面接に落ちて入れなかった吉田寮にむすめっこ潜入。すごく古い。もんのすごく湿気てる。笑。ポスターが昭和20~30年代のころのがまだたくさん残っているのねえと見ていたら梶井基次郎の部屋の話が始まってしまった。私の通っていた小学校がとてつもなく古かったので、外が大雨のときの学校の中の暗さを思い出しました。目が慣れていく感じとか。外の木々の緑の濃さがとても印象的、ちゅうか原生林よね!ナウシカの腐海みたいな霧のなかに枝なんだかツタなんだかだらんと垂れさがっている植物たちを見ながら迷路のような長い廊下をぐるぐるしているうちに若干頭がくらくらしてきました。案内してくれた男の子はとってもかわいい学生さんで口元上品。「ぼく吉田寮に入るつもりで京大に来たので」とのこと。庭にエミューががいて最近食べてしまったとか吉田寮を味わう会でこの壁をちょっと食べてみたとか吉田寮に住む人の関係者(友達、京大、恋人などなど)なら住む資格がある、などいろいろ教えてもらう。そして今の吉田寮の現状についても質問が飛び交い「山際さん(総長)が吉田寮をつぶそうとしているとは思えない」というツアー客からの意見や「吉田寮は警察ですら入れない自治区なんだ、だからこそ、ここは上下や圧力を加えるような雰囲気にしてはならない」という学生さんたちの言葉にうなずきつつうつむくノンポリ学生時代を過ごした私。昔父がニュースを見ていて時々「あいつ捕まったのかあ。同じ授業受けてたなあ」と言っては、ちびこの私に色々教えてくれたのだ。なんだか父の若いころが急に目の前に立ち現れたかのような不思議な体験でした。この数日後父が体調を崩して倒れ(もう元気です❗)「吉田寮の面接なんで落ちたか聞くの忘れた!」と思い、病院でまだ寝てる父に「なんで吉田寮の面接落ちたんやったっけ?!」て聞いたら「へらへらしてたからかな、てへ。デモとか行くの~?ええ~、って言っちゃった」とのことでした。でもちょっと真面目に「もし入寮してたら俺もテルアビブにいたかもしれないなあ、それくらいの影響力あったよ」と言ってました。ツアーの途中で何度か楽器搬入のため切腹ピストルズの隊員さんが通りがかったのですが「あの人も学生かしら?!さすが京大ねえ~!」と野良着姿のおっちゃんたちを奥様達が見送っていました。いやいやいや、何浪や!笑楽しかった。吉田寮は私は残ってほしいと思いましたね、まだ台風の後始末と家族のばたばたで、身辺まったく落ち着かないので、また。